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1988.3.15 Letter to the Parents 33 「愛を高めるために −1988年3月卒業式祝辞−」 校長 斎藤 和明

 卒業生を送り出すにあたり、一人ひとりの前途が恵まれたものであるように祈っている。アメリカでは高等学校や大学の卒業生を“graduates”と呼ぶ。この言葉は「段階」や「程度」を意味する。時には「成績」になる。“grade”から派生している。卒業とは人生のひとつの段階であって、さらに程度の高い人生へと向かう出発の時である。
 その程度の高い人生のうち最もすばらしいものとは、「イミタチオ・クリスティ」(キリストを真似て生きること)であるとトマス・ア・ケンピスは考えた。キリストを真似ることはキリストの愛を真似ること、隣人を思いやること、友のために他者のために自分を役立てること、である。苦しんでいる人、弱っている人を助けることである。その時大切なのは、相手の人生にとって最も意味のある助け方をすることである。それが相手を最も深く思いやることである。キリストは、政治の世界でユダヤをローマから解放する救い主になることがユダヤを深く思いやることにならないと考えていた。人びとは失望しキリストを十字架につけた。十字架の上につけられること、つまり多くのユダヤ人にとって期待はずれの姿こそがユダヤ人をまた人類を最も深く愛する姿であった。愛はひとりよがりの自己満足の表われではない。私たちの愛の程度が高められるとき、時にその愛が、親の子を思うときのように、きびしいものであるかも知れない。誤解されるかも知れない。しかし私たちは誤解を恐れることなく、ただ、愛を高めることのみを目標にして生きていればよいのだと思う。
 私たちの高校は、国際基督教大学と同じく国際性を高めることを目差した学校である。日本の国際性を確立するために貢献することを、私たちは期待されている。日本の社会は、かなり国際化した。しかし、まだまだ日本社会は異質なものを嫌う、均一・画一主義を求める閉鎖性社会である。そのような社会にあって卒業生諸君は、日本人が国際化するためにその場その場にあって力をつくして欲しい。時々日本の国際化が不可能ではないか、と思わされる社会にあって困難でも国際性の確立のための個人個人の努力をつづけて欲しい。そのために大切なことは自分が世界と出会うことである。それは日本以外のある国と出会うこと、その国を知ること、その国を愛すこと、その愛の程度を高めることである。
 先日、昨年度(1987年度)の朝日歌壇賞が発表になった。四人の受賞者のひとり大田美和さんの受賞作は、「帰国して働くという模範解答を持てぬ在日の君は十九歳」という一首であった。この作品について作者は次のように述べていた。「『将来の希望を聞かれたら、帰国して働くと答えなさい、と日本語学校で教えられた。家族と日本で暮らしている私はどう答えたらいいのか』と台湾出身の少女に質問された。日本の閉鎖性と画一主義。三十一文字には盛りきれないほどの思いがあるが、その一滴だけでも受けとめてもらえたらと願っている。」
 この作者は日本以外の国と出会っている。日本人以外の国民と出会っている。おそらく政治上の問題もあってこの台湾出身の少女の家族は祖国に帰ることができないのであろう。しかし日本の社会は、やがて母国に帰る者は受け入れても、異質な者がいつまでもいてもらっては困ると言う。この作品は、台湾と台湾人の悩みを知り、その少女の身の上と胸の内への深い思いやりを芽生えさせている。この作者のように日本の閉鎖性社会にやりきれぬ思いを抱く者は多いはず。その思いを大切にしたい。その思いから国際性が希求されるのである。海外の誰か、海外からの誰かを知ることから、世界への愛が生まれ高められるのである。卒業生諸君、これから世界を愛しその愛を高めるよう努力していただきたい。

 

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