ICUHSの”C”はChristianity

1998.5.31 えいれーねー 74号 「ICU高校20周年をむかえて」 校長 桑ヶ谷 森男

 W君、ICU高校はこの4月で満20年を迎えた。まだ生まれていなかった君にとっては、かなり昔のことになりますが、私にとっては、ついこの間のことのように思えます。学校の設立が決まってから1978年の開校までの期間は、たった1年間でした。普通では考えられない短時日の準備期間です。それは、日本社会の要請に応えて、“帰国生徒を受け入れる私立の高等学校”を創るために、国の予算から設立費の一部が出されることになったからです。私立の高等学校の設立に、その“一部”とはいえ、国からの補助金が出されたのは、初めてだと言われています。国からの補助金は、国民の税金です。そして、この初めての高等学校の設立に白羽の矢が立ったのが、ICUでした。
 開校準備を始めた頃、高校予定地には、赤土とまだら模様の草むらと、考古学出土品の有無を調査する縦穴が二つ三つ掘られた、殺風景な平地があるだけでした。一期生が応募や入学の手続きをしたのは、当時はなかったいまの湯浅記念館の前あたりにあった、中古プレハブの事務所でした。校舎の備品、入学願書など書式の工夫、教員採用、それに志望者からの電話の問い合わせなどなど、てんてこ舞いで対応したという記憶があります。校舎未完成のため、一期生の入試会場は、亜細亜大学とICU理学館でした。初期の頃、帰国生に戸惑ったのは、一般生だけでなく、教師も同じでした。アメリカ・イギリス・フランス・ドイツの匂いを漂わせている仲間の中に、イタリア・中国・ケニア…などの帰国生、一般生が挟まりあって、期待と不安の混じり合った“学校づくり”でした。教師も一般生も、帰国生の感性、習慣、授業への注文、そしてディスコダンスパーティーに目を白黒させながら、少し不安で、それでいて、とてもどきどきする期待に満ちた楽しい時間が過ぎていきました。
  さて、開校当時の懐旧談めいてしまいましたが、学校の歴史として、大切なのは、その後の君たち生徒一人ひとりの生活の総和です。すべての卒業生からICU高校で感動したこと、学んだこと、生涯の友をえたこと、そしてひとり悩んだことを聞き出すことはできないけれど、大切なのは、この目に見えないところにあります。この3年間は、君のこれからの20代、30代…における3年間とは同質ではないことは、君も容易に想像できると思う。高校時代は、正義感や真理とされるものへの素直な姿勢と、自分をごまかしてゆけない苦しさや、友達の真情を感じたときの喜びをもっている。それは、社会人となって働く職場での“組織”では生まれない、精神生活だ。君たちが織り成した、この多彩なICU高校生活は、卒業生の心のうちに静かに沈澱して、いつの歳になっても“あの友との触れ合い”を再現させてくれるに違いない。
 W君、神の働きを信じ、平和を創り出す旗をかかげたICU高校という20年の若木は、その果実をようやく実らせはじめています。君たちの進路については、多方面に活躍する卒業生を模範として示しながら、幅広い視野をもって、ざまざまな大学、分野へ挑戦していくように奨励したい。今や、実業界、学界、教育界、医学界、法曹界、芸術界、ジャーナリズム、国際・国家・地方各公務員、著述・翻訳などの自由業……など、卒業生の活躍する分野は、ここに挙げきれないほどひろがってきた。もちろん、学校としては、世俗的に出世することよりも、卒業生一人ひとりが、健康でそれぞれの生きがいに満ちた人生を送られるようにと、祈っている。そして、最も忘れてはならないことは、W君、君自身が、誰かを励まし、慰め、そして誰かに必要とされている存在だということです。

 

Christianityトップへ戻る