ICUHSの”C”はChristianity

2008.12.15 えいれーねー 116号 「ICU高校30周年 ―誇りと期待」 前校長 桑ヶ谷 森男

<感謝>
 ICU高校30周年を心からお祝いし、神に感謝します。長くこの学校を支えて来られた先生方、職員の皆さんに感謝します。二人の亡くなられた先生についても、感謝の気持ちをこめて、触れておきます。お一人は、1986年から92年まで6年間校長をされ、今年の6月21日に亡くなられた斉藤和明先生です。斉藤先生は、学校の機関紙《えいれーねー》の名付け親でもあります。もうお一人の細井教生先生は、開校以来22年5ヶ月、英語の先生として、寮のアドヴァイザーとして勤務され、2000年定年退職を前にして病でなくなられました。細井教生賞という奨学金を残してくださいました。
 私はそして、ここにいる生徒の皆さんと卒業生に感謝します。なぜなら、1期生からずっとこの学校の主人公としてICU高校の学校文化をつくりあげてきたのは、生徒たちだからです。この学校では、1期生のときから生徒たちがイニシャティヴを発揮して、キャンパスライフをつくりあげてきました。それは、この学校の特色であります。

<創設の目的と背景>
 今日は、お話をする機会を与えられ、大変うれしく、光栄に思っております。それは、ICU高校が私自身の誇りになっているからです。ICU高校は、私学として創立者の独自の理想をもっています。それは、大学と同じ創立の理想を共有するものであり、世界の平和と人々の幸福のために貢献できる優れた人物を育て、世に送り出すことです。しかし、同時にICU高校が国民の世論の力によって設立されたという事実も忘れてはなりません。ICU高校は、創立資金の一部が国の予算から出された、日本で初めての私立高校です。国の財政からお金が出たということは、この学校が国民の要請にもとづいて創られたからです。ICU高校が創立される2年前の1976年、当時の文部省の研究協議会で「帰国子女の受け入れを主目的とする高等学校を新設する」という答申が出され、ICUにその高校を創るようにという要請があり、ICUが受けて立ちました。それは、帰国生と一般生がともに学び、お互いの長所を生かしあっていく、新しい試みを行う学校です。したがって、ICU高校は、私立であると同時に「国民立」の学校と言えます。

<学校文化>
 この30年の歩みの中で、ICU高校は、この、創立者の理想と国民の期待に応えてきたでしょうか。私は、成功しつつあると思います。第三者も同意するでしょう。まず第一に、先生も生徒も、この学校で求められるものは、他者を理解することでした。帰国生も一般生も、一くくりにして見ることはできません。とりわけ帰国生は、滞在国、滞在年数によってさまざまな背景があり、先生も生徒同士も、一人ひとりの違いを理解することを迫られました。そして、相手の背景、持っているものの考え方や価値観を理解し、寛容であるという態度は、一般生と帰国生に限らずICU高校の学校文化になりました。これは、簡単にできることではありません。帰国生と一般生はお互いにストレスがあっても見事に乗り越えて長所を発揮し、お互いに学びあってきました。先生方も生徒とともに成長しました。その成果は卒業生が示してくれます。一人ひとりの背景に思いを及ぼし、異質なものを受入れるICU高校の学校文化は、日本のすべての学校に求められる典型としてアピールできます。相手を理解するとき、自分を意識します。他者理解を深めることは、自己理解を深めます。他者理解は、イエスの教えの核心であります。

<学びのスタイル>
 次に、ICU高校の生徒の勉強振り、学びのスタイルに注目したいです。入学したときは皆さんの身に着けている学力は、目に見えるところでも、隠れたところでも、さまざまです。しかし、幸いなことに、生徒の学ぶ姿勢、学習意欲には共通した熱意、温度を感じました。与えられた知識を受身で聞くだけでなく、みずから主体的に学習していこうという積極性がありました。先生方も生徒が自分で課題を持つ力、生徒の問題発見能力をたくみに引き出していく努力をされてきました。教室にはリラックスした雰囲気がみられます。リラックスした精神は、二つの面を持っています。両刃の剣です。リラックスした状態は、知的な活動を活発にさせ、知的交流の場をつくります。しかし、学ぶ動機が欠けていれば、机にうつぶせになる《だらけた》雰囲気に変質します。ICU高校の生徒に望みたいことは、各人が学習目標・対象に向かうアグレッシヴな姿勢です。教室には、リラックスした活気にあふれた状況もあり、張り詰めた緊張もある学習の場であってほしいと願っております。

<生き甲斐ある人生>
 ICU高校では、大学への進学準備だけの勉強をするところではありません。自分の人生をどのように引き受け、生きようとするのかを考える場所でもあります。私たちが今生きている時代は、矛盾に満ちています。「夜と霧」の作者、アウシュヴイッツを生き抜いた精神医学者のフランクルは、第2次世界大戦後から今日までの多くの人の精神の病は、人生の目的や意味を失っていることから来ていると言っています。そして「人生にどんな意味があるのか」「人生から何を期待できるか」と他者に答えを求める発想は、自分を世界に中心にすえて、自己から世界を見る見方だ、自分の利益という視点から世界を見る見方であって、いずれ壁にぶつかると言っています。
 それとは逆に、「人生は何をわれわれから期待しているか」言い換えれば「自分は人生から何を期待されているか」という自分みずからに問いを向ける発想に転換すべきだと助言しています。そういう観点に立てば、現代から未来にかけてのこの時代、皆さんに期待されるものはふんだんにあり、夢中になって取り組める課題や対象があなたに発見されるのを待っているのです。ICU高校は、人生をどう引き受けるかという課題を共に考え、学ぶ場であります。取り組む課題、目標を持って生き生きと生き甲斐をもってすすんでいく皆さんの姿を見たいと思います。
 皆さんは、感受性豊かで、感動する心を持っています。この学校生活の中で、人との出会い、クラブや学校行事などでの体験、そのなかで何か感動する出会いがあれば、すばらしいと思います。深い感動体験は、困難を乗り越えるときの支えになります。授業での印象深い出来事や新しい発見で感動があれば、勉強への深い動機となります。感動体験は、困難を乗り越える力、勉強に取り組む力になります。ICU高校は、感動体験の場であってほしと願っています。

<期待>
 皆さんは、大学に進み、いずれ実社会で活動する人になります。そのときまでに、悪を悪と見抜ける洞察力を身につけていてほしいのです。マスメディアなど私たちを情報で支配するものが、公正であるとはかぎりません。戦争や民族紛争がなぜ絶えないのか、人権が守られ、差別がない世の中に向かって現在どこまで進んできているのか、世界に見られる貧困と富の偏在の解決に道はあるのか、科学は命を守り、生活を豊かにする目的に奉仕しているのか、世界は私たちに問いかけ、私たちはそれに答えを出す解答者としての立場にあります。そのためには、問題の本質を見抜ける学力が必要です。そして私利私欲に曇らされない真実への誠実さです。これを身につけた者は地の塩であり、光の子です。
 6,852人のICU高校の卒業生は、大学で学んでいる人もいますが、すでに5千人以上が社会の各分野でその期待に応えて、活躍しています。学者・研究者、ビジネスマン、ベンチャー企業創業者、テレビ・新聞などのジャーナリスト、医療に従事する人、音楽家や絵本作家、翻訳家、挙げれば限がありません。今年11月22日、6期生で世界的ハープ演奏家の吉野直子さんが、このキャンパスで演奏会をしてくれます。海外でがんばっている人もいます。この秋、教育相談の仕事でシンガポールに行きますが、そこでは同窓会ができるほどです。サイクロンの被害があったミャンマーには、ユニセフから派遣された医者の夫と共に2人の子どもをつれて生活している卒業生がいます。皆さんが将来どんな分野に進まれても、その選ばれた働き場所で、必ずすばらしい先輩に出会うでしょう。
 木はその木になる実によって知ることができます。学校が木であり、皆さんは実であります。ICU高校への期待は、そこで学ぶ生徒への期待にほかなりません。皆さんは学校の主人公であり、学校の誇りです。この30周年を迎えて、わたしはそのことに改めて碓信を持ちました。最後に理事の先生の高校への温かいご配慮と教職員の皆さんのご苦労、保護者の皆さんの学校へのご協力にたいする感謝の言葉をもって、終わります。ありがとうございました。

 

Christianityトップへ戻る