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1990.7.7 えいれーねー 43号 「神の愚かさ・人の愚かさ」 ペンテコステ礼拝・細井 教生

 今皆さんが様々の外国語で聖書の使徒行伝2章1~4節を読んで下さいましたが、その前の章の8節を見ますと、「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」とあります。そして歴史の事実は、その通りになりました。まさに彼らにとってみれば地のはてである日本にまで、今やキリスト教は広まりキリストは証しされているのですから。このペンテコステの時、聖霊(神の霊)が人々の上に下りました。それは驚くべきことでした。このような不思議なことは、現代の人々だけでなく、その様子を目撃していた当時の人々にも信じられないことでした。そこで人々は、弟子たちは新しい酒に酔っているにちがいないと言いました。それに対し、ペテロは、今は朝の9時だし、我々は酒に酔っているわけではない、と言って、実に力強い説教を始めました。いつもおっちょこちょいで、あわてん坊で、イエスを3度も知らないと言って裏切ったあの弱いペテロが、今やこんなにも力強くイエス・キリストについて人々に語っているのです。この日ペテロの説教に感動して洗礼を受けた人が3000人もありました。このペテロの伝道から世界最初の教会が誕生したのです。このペテロの変化は、人を導いて力ある業を行わせる神の霊が確かに下ったことの証拠です。その後教会は様々の迫害に会いながらも全世界に広まり、今では全世界の人口の1/4がクリスチャンであり、キリスト教は世界最大の宗教となっています。もしペンテコステに聖霊が下っていなかったら、ペテロや他の弟子たちも、ただ悲しみに沈み、やがて彼らはバラバラになってしまっていたことでしょう。そうしたら、キリスト教などは今存在していませんし、世界の歴史も全然違っていたことでしょう。このICU高校なども当然存在していなかったことになります。そういう意味で、この大昔の出来事が、今日のICU高校にもつながっているのです。私はこのことを考える時に、改めて不思識な気持ちにさせられます。

 さて、このペンテコステに限らず、キリスト教の大事件は、全部不思議なこと、常識や科学では信じられないことから成り立っています。先ずクリスマス。イエス・キリストは処女マリヤから産まれました。そしてその御生涯での数々の奇跡(水上を歩いたり、水をブドウ酒に変えたり等々)。そして十字架。神の御子がこのような死に方をされようとは!そしてその3日目の死からの復活(イースター)。それに加えて今回のこのペンテコステときている。ばかばかしい。子供だましのおとぎ話じゃあるまいし、この科学技術の20世紀に、こんなことまともに信じる気になんかなれない、という人は多いでしょう。それは今の人々だけでなく昔の人々とて同じです。使徒パウロは、こういう人々に向かって次のように語りかけています。<この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。(中略)神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人よりも強いからである(コリント前書1章21~25節)。> つまり、人間は知恵-科学や哲学-で神を知ることはできない。これが神の知恵である、と。神は科学的・哲学的に御自分を理解されることを拒否しておられるのです。どんなに頭がよくても、学問しても、理解できない。それが神の計画である。神は頭のいい人だけでなく、全ての人が頭ではなく心でハートで理解できるように、御自分を表わしておられる。人間がいくら知力を使って、学問的に研究しても理解できないなんて、それは人間から見たら愚かしいことかも知れません。しかし、ここに神の深い知恵があるのです。<神の愚かさは人より賢い>のです。どうぞ皆さんも、キリスト教を頭で理解しようとするのではなく、心でハートで理解するようになさってください。

 

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