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喜吉フォワード奨学金設立者:喜吉様インタビュー

2024年08月19日

以下、喜吉フォワード奨学金設立者の喜吉憲様の思いをインタビューとしてお届けします。
ぜひ、ご一読いただけますと幸いです。

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写真は、喜吉憲さんと長女の紘子さん(ICUHS16期卒業)、ポートランドにて

☆ICU高校へのご寄付をお考えになったのはなぜですか?
はじめは我が母校ICUへの「恩返し」寄付をしていました。その後、長女(96年卒)が大きく成長したICU高校へ「感謝寄付」をするようになり、3年前に「喜吉フォワード奨学金」制度となりました。話が長くなりますがお許しください。

今から16年前、60歳の時にライフモードを「お金を稼ぐ」から「使う・差し上げる」にシフトしました。その頃にICU大学では「Peace Bell 奨学金」制度向けの寄付募集が始まりました。経済困窮家庭出身の人にもICU進学を希望して欲しいと考えた先輩の大口寄付が契機です。私のICU入学動機は当時の「入学金・授業料半額免除」制度でした。今の貨幣価値で500万円でしょうか、いつかはお返しすると思い続けていました。経済的に余裕ができ、この先の人生が読みやすくなったので、半沢直樹の乗りで「倍返し」寄付を始めました。
 ICU高校向けの寄付は10年程前に高校運営評議会メンバーになったことが縁です。ICU高校への門を経済的困窮家庭の中学生にも広げたいと思いました。また学校主催のスタディーツアーの参加費用を親に頼みにくい在校生がいることを知りました。私の大学時代を思い出して、在校生への支援を組み込む「喜吉フォワード奨学金」を3年前に作りました。皆さんはああそうかと思うでしょうが、紆余曲折がありました。中嶌校長、松坂教頭の支援に感謝しています。

☆どのような学生時代を過ごされましたか?
惨めな高校時代でした。区立中学から国立高校に進学でき鼻高々でしたが、2年の時に不登校生となりました。心配してくれた先生と友達に助けられて何とか卒業は出来たが、大学受験は失敗。思うことあり就職することにし、都立定時制高校の事務員となった。働くことは楽しかったが、夏を過ぎた頃に高卒で終わりたくない気持ちが強くなった。受験情報誌でICUという大学を発見した時の喜びは忘れません。
 しかし大学時代の良い思い出は少ないです。生活費を稼ぐバイトで忙しく、同級生と遊ぶ余裕がなかった。また当時の社会情勢もありました。「ベトナム戦争反対」、「反帝・反米」さらに「既存秩序の解体」を叫ぶ学生運動が本格化しました。3年生の時ICUでは大学の全施設が鉄製の高い防護壁で囲まれ、大学の要請で機動隊が常駐した。私たち学生は機動隊員の監視の下で通関証を見せて学内に入った。鉄壁の外にあった学生寮は造反学生の巣となり、一部の寮は閉鎖された。私は4年生の時になり手のない寮長に立候補した。造反寮生には「学寮は生活場であり闘争の場でない。お金に余裕のない自分は最短の4年で卒業したい。その邪魔をしないで欲しい」と主張して寮を守った。私はノンポリ(政治的無関心なヤツ)と軽蔑されたが、それ以上のことはなかった。
卒業後は大学のことは思い出したくなかった。でも不思議ですね。卒業後30年、50歳を過ぎた頃、同窓会報で大学祭を知りキャンパスを訪ねた。知る人もなく、学食でカレーライスを食べて帰ることにした。学食の前には「やまばと学園」の寄付ブースがあった。卒業生ご夫妻が福利施設を運営していると知り、少額の寄付(たぶん1万円)をさせて頂いた。これで母校とつながったような気がした。

☆娘さんのICU高校時代はいかがでしたか?
帰国後は日本の学校に馴染めず苦しそうだったが、ICU高校に通うようになって自分を取り戻したようだ。猛烈サラーリーマンだった私の記憶に残っているのは2つの口論。長女は休暇中にバイトをしたいと言い、私は勉強して欲しいと言ったが、冬休みの郵便局の短期バイトは渋々認めた。もう一つは大学進学で、普通の大学に進学して欲しかった私に対し、長女は「私はお父さんとは違う。看護の道に進みたい」と言い口論となったが、母親のサポートを得た長女が勝った。40歳を過ぎた彼女の今を見ていると娘は正しかった。

☆ICU高校の良いところはどこだと思われますか?
評議会では生徒の活動報告があります。学業、クラブ活動と忙しい高校生活の合間を縫って、ボランティア活動までしている生徒さんが眩しい。プレッシャーは有るのだろうが、やりたいことを楽しそうにやっている。また一般生と帰国生が互いに刺激し合い、そして優秀な女子学生が多数の環境で男子生徒が奮闘しているのも良い。またこのような学風を大切している先生方の存在も大きいですね。

☆喜吉さんからICU高校の卒業生へのメッセージをお願いします 
私が40才の頃、米国南部州勤務時代の話を紹介します。地元の有力ビジネスマンから「寄付は家庭を持ってから、子供の学費が終わってから、マイホームを持ってからにしますと言っている間に年を取ってしまう。先に延ばさずに、今からそして小さな金額でも寄付をすることが大切」と指摘された。当時は米国南部への日本企業の進出が進んでいた。雇用創出では大歓迎されたが、地元コミュニティーに対する貢献が弱いことに不満があったようだ。

私は二つのことを実行した。一つはUnited Way という地元募金団体への毎月の寄付。もう一つは、New Yorkにある日本国際基督教大学財団への年末の寄付。忘れてしまいたい大学時代だったが、ICUを創ってくれた米国人クリスチャンへの感謝の念を持ち続けていた。私の職業人生を振り返ると、ICU大学のFreshman English で得たスキル、そしてLiberal Arts教育から得たものは大きい。

「ICU高校サポート募金」への寄付は少しずつ大きくなっていますね。また卒業後間もない若い方の寄付件数も多く、毎月寄付している人もいると聞いています。さすがICU高校の卒業生で、「今からそして小さな金額でも」を実践している。私も頑張って寄付を続けます。そして卒業生の皆さんでこの寄付をつないでいってほしいと思います。

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