ICU高校|INTERNATIONAL CHRISTIAN UNIVERSITY HIGH SCHOOL

Graduates' Voice!|卒業生の声

卒業生からのメッセージ

写真:日下部 元美さん

日下部 元美

30期
国際基督教大学教養学部
(株)毎日新聞社北海道報道部記者

 

小学校3~5年にかけてアメリカ合衆国カリフォルニア州に住んでいました。帰国すると勉強についていけず、逆カルチャーショックにもあい、周りの環境に溶け込もうとすればするほど自信がなくなっていきました。自分の意見を言うことが苦手になり、対人関係についてもどこかビクビクしている所がありました。ですがICU高校の自由な校風や個性を大切にする環境下で、少しずつ自信を取り戻していき、もっと自分を表現できるようになりたい、と思うようにもなりました。

現在は毎日新聞社の記者として働いています。問題を提起し自分の意見を表明していく記者になるとは、中学時代の自分からは全く想像できません。入社以降、警察や政治などの担当を持ちながら、障害者や性的少数者など社会的マイノリティーが抱える問題の取材を続けています。2018年には旧優生保護法下での障害者への強制不妊手術問題の取材班に入りました。現代にはびこる優生思想を見つめながら、記事や本の出版に向けて執筆しています。

実は、強制不妊手術の問題を一番最初に知ったのは、ICU高校の倫理の授業でした。あまりのショックに、家に帰ってすぐ母親に話した記憶があります。その後、この問題が心のどこかにずっと残っていて、大学では優生思想や差別問題に関心を持ち、精神医学の歴史などをテーマに研究しました。記者になり、強制不妊手術の問題を高校時代に学んだことがあると上司に話すと、「ええ? どこの高校? 普通は学ばないんだ」と驚かれる経験をしました。

倫理に限らず英語、世界史、文学などの授業も、簡単には答えが出ない社会の問題に生徒を向き合わせ、そして考えさせる内容が多かったと感じます。私は頭の回転が速くないことがコンプレックスでしたが、これと言い切れずのらりくらりとさまよう自分の考え方を、「それでもいいんだ」と肯定してくれたのも、またICU高校の授業でした。生徒も自由に、時に自由すぎるくらいに生活しながらも、真面目に議論しあう雰囲気がありました。

大学ではすぐに歴史学を選んだわけではなく、国際関係学や政治学、人類学にも関心を持った時期もありました。社会のあらゆることに対する関心の種の多くは、ICU高校時代にまかれていたと感じます。種は知らない内に芽を出し育っていて、振り返ったら蔦のように連なっていました。皆さんも学校生活を楽しみながら、自分の関心事を大事にして、たくさん学んでください。

(2018年)

写真:日下部 元美さん

毎日新聞社北海道報道部にて

写真:林 磨理人さん

林 磨理人

23期
国際基督教大学教養学部 University of California, San Diego
Harvard Medical School博士研究員

 

僕がICU高校の受験を決めたのは、自由な校風と帰国生の多い国際的な環境に憧れたからでした。幼少期と中学の一時期を英国と米国で過ごしましたが、海外生活の時期と期間の関係で帰国生扱いにならなかったため、“隠れ帰国”として一般生枠でICU高校へ入学しました。友人に恵まれ、生徒以上に個性的な先生に囲まれ、のんびりとした高校生活を送らせていただきました。

入学当初より、さまざまな環境で生活してきた帰国生から世界の多様性を学びました。入学式の帰り道のバスの中で、帰国生のクラスメイトに「お前、帰国生だって色々なんだぜ。帰国生だからって、アメリカ帰りでアメリカ英語喋ると思うなよ」と怒られたのは、とても刺激的な経験でした。高校生活の日々の中で友人が話してくれるアフリカや中近東での生活の経験に、まだ見ぬ世界がたくさんある事を教えられ、ワクワクしたのを今でも覚えています。

ICU高校では、自分の好きな様に科目履修をしました。化学や物理など自然科学の教科は履修を考えたことすらなく、楽しいと思っていた教科は現代文と地理でしたので、日本の教育制度に則ると自分は“文系”だと思っていました。受験が迫って来る時期に、自分は“文系”で数学も好きだし経済学部あたりを受験するのかな、と漠然と考え始めました。しかし、経済学部を卒業した後の生活を想像した際、当時の僕には東京の満員電車で疲れ切っている会社員しかイメージできず、それを目標に受験勉強をして経済学部で学ぶ気にはなれませんでした。

何か別の事をやってみようと考えた時に真っ先に頭に浮かんだのが、1年次に履修した岩田先生の生物の授業でした。隣接する大学(ICU)キャンパスで野草を食べたり生理現象を学ぶ事がとても面白く、岩田先生が授業の初めに仰った「21世紀は生物学の時代だよ」というメッセージもとても印象に残っていました。さらに、ICUでは日英両語で文系理系に囚われず幅広く学べると知り、ICUで生物学を学ぶ事を希望するに至りました。その生物学の中でも、世界には考えや行動が異なる様々な人がいるけれども、その共通の基盤となる脳はどの様に働くのだろうとの思いから、神経科学の研究に興味を持ちました。国際機関で働く事にも憧れたものの、国や文化を超えた普遍的な生命の営みを根本から理解する事が魅力的に思えました。

大学在学中も友人や先生、交換留学の機会に恵まれ、卒業後は東京大学で研究生をさせていただき、その後カリフォルニア大学で博士号を取得する機会をいただきました。現在はハーバード医学院にて博士研究員として神経科学の研究に取り組んでいます。研究は思い通りにいかない事も多いのですが、さまざまな国から研究者が集まる国際的な環境、アイディアが浮かぶ創造的な瞬間、自分の考えを実験を通して実証できる喜び、世界で誰も知らない事を見つけられるかも知れないという興奮、そして研究結果が世界の役に立つかも知れないという可能性に導かれ、日々研究生活を送っています。現在の僕の根底にあるのは、ICU高校での友人との出会い、生物学との出会い、文系理系に縛られない進路選択の可能性だと思います。自分の仕事の根底が今まで歩んできた道と興味に支えられているのは大変幸せな事だと思います。ICU高校での出会いに深く感謝し、将来のICU高校生の生活を心から応援しています。

(2018年)

写真:林 磨理人さん

南カリフォルニア在住のICU高校卒業生とともに

写真:村上 怜央さん

村上 怜央

21期
上智大学経済学部
Vice President, Bank of Ayudhya(三菱UFJ銀行より出向中)

 

これからICU高校への受験を検討している皆さんに、卒業生として私なりに感じたICU高校の「素晴らしいところ」を2つ紹介させて頂きます。

1.ダイバーシティ(多様性)
小学校の1年生から5年までの5年間をドイツで過ごしました。小さい頃の私は極度な恥ずかしがり屋で、ドイツでは進級する度にクラスに馴染むのに苦労をし、日本に帰りたいと思っていました。しかし、いざ帰国してみると、今度は日本の学校の文化に慣れず、それを隠しながら必死に自分をまわりに馴染ませていました。海外にいるときは「外国人」、日本に帰ってきたら「帰国子女」と、ずっとアウェーです。全てを変えてくれたのは、ICU高校とそこにいた仲間達。さまざまなバックグラウドを持つ仲間の中にいることで、「自分をまわりに馴染ませる必要はない」、「人は皆違っていてもいいのだ」と気付きました(同時に恥ずかしがりな性格もなくなりました)。高校でダイバーシティの重要性に気付けたことは、その後の人生において大きな財産となっています。

2.自由という究極の厳しさ
ICU高校といえば自由な校風です。ほとんど校則もなく、文化祭の出し物も「やる・やらない」から全て生徒に任されていました。では、なぜそんなことが昔から成り立っているのでしょう? それはICU高校生自身が高いモラルと自主性を保ち、それらを脈々と後輩達に引き継いで来たからではないでしょうか。高校生にこれほどの課題を課すなんて、厳しすぎませんか(笑)? でも、それが出来てしまうのがICU高校生だと、私は信じています。

大学卒業後、三菱UFJ銀行に入社しました。帰国子女としてのアイデンティティをICU高校で確立した私は、小さい頃は親に連れて行ってもらった海外に、今度は自分の力で行きたい、と考えるようになっていました。入社4年目でタイ語の語学研修生として2年間タイで過ごした後、日本に帰国。現在は2014年に三菱UFJ銀行の傘下に入ったタイのアユタヤ銀行(通称Krungsri)に勤務しています。所属する部では唯一の日本人ですが、今はもう気になりません。当地のスタッフとお互いを尊重し合いながらも意見をぶつけ合えるのは、ICU高校での経験が活きているからだと感じています。

ICU高校の卒業生は海外で活躍している方が多く、当地でも交流する機会があります。また一時帰国する際は、学年の近い仲間でよく集まるのですが、さまざまな人生を歩んでいる卒業生と会うのは、本当に刺激になります。ICU高校は一生の宝物がいくつも見つけられる学校ですので、皆さんもぜひチャレンジしてみて下さい。

(2018年)

写真:村上 怜央さん

アユタヤ銀行の同僚とともに

写真:>内木(高松) 裕紀子さん

内木(高松) 裕紀子

19期
国際基督教大学教養学部
(公社)日本チアリーディング協会公認審査員

 

高校1年生の2学期よりICU高校に編入学した私は、正直不安でいっぱいだったことを、今でも鮮明に覚えています。帰国生が多いと聞いたけど、英語があまり得意でない私は、大丈夫だろうか? 久々の日本の学校に馴染めるだろうか、寮生活を無事に過ごせるだろうか・・・。しかし、そんな心配はすぐになくなりました。現在はチアリーディングの公認審査員として活動していますが、そんなライフワークと出会えたのもICU高校です。ICU高校は、私にとって今の自分を創ってくれた場所です。

ICU高校には、帰国生と一言でいってもさまざまな背景、価値観を持った人達がいます。そして、その違いを認め合う文化が根付いている学校だと思います。「あなたはそう思うのね。でも私はこう思うの」と、誰かに無理に合わせることをせずに、自分の考えを堂々と言える場所です。お互いを認め合う環境に身を置くことで自己を確立し、自己開示をすることに抵抗がなくなったように感じます。社会人になりさまざまな人と出会いました。中にはうまく自己開示を出来ない人もいます。しかし、それもその人を創っている大事な一要素。そんな一面も容認しながらその人を理解していこう、と自然に思えるようになったのは、ICU高校の恩師や友人のお陰です。

ICU高校でチアリーディングと出会い、現在はチアリーディングコーチや審査員として活動をしています。夫の駐在でジャカルタに行った際は、ジャカルタというなかなかスポーツが出来ない街でも子供達が運動出来るようにしたい、子供達に少しでもチアリーディングを広めたい、限られた中でもかけがえのない時間を過ごして欲しい、という想いで協力者を募りチームを創設しました。ほぼ初心者ばかりの集団で、初年度はチアリーディングのいろはを教えることに必死でした。でも、帰国による生徒の入れ替わりが多く、「次がある」といった発想は通用しません。目の前にあることに全力を集中し、その瞬間に生徒一人ひとりが最大限の力を出せるよう指導しよう、と強く思いました。

このような行動が出来たのは、ICU高校で培われた行動力、そして同じ帰国生に何か出来ることはないか、という想いからでした。また、幸運にもインドネシアのチアリーディング協会から大会審査員として活動する機会を頂き、同じチアリーディングでも表現の仕方は無限大だということを学びました。自分が思っていたチアリーディングとは違ったものの見方や表現方法がある、と素直に受け止められたのは、ICU高校で培ったお互いの価値観を認め合う精神のお陰だったと思います。

正直、海外で生活するのは大変なことも多いでしょう。しかし、それをマイナスとして受け止めるのではなく、プラスの力に転換することを心がけると、素晴らしい時間、経験になると思うのです。「今」という時間は「今」しかありません。たとえばその風景も、友達とのかけがえのない時間も、もしかしたら嫌だと思っている勉強も・・・。あの時こうしておけば良かったではなく、常に「今」出来ることを大切にして行動することで、自分の中での学びも多いのではないかと思います。そして、必ず輝かしい未来が待っているはずです。

(2018年)

写真:内木(高松) 裕紀子さん

ジャカルタのチアリーディング練習場にて

写真:岸 克昭さん

岸 克昭

37期
国際基督教大学教養学部1年

 

私はチリのインターも日本人学校も補習校もないような街に約8年間住んでいました。そのため、帰国するまでスペイン語でしか勉強をしたことはなかったのです。日本帰国後、日本語で授業を聞くことさえ難しかった私は、できるだけ帰国生が多い高校に進学を希望していました。そのなかでも帰国生受け入れのパイオニアであり、しかも上級スペイン語の授業がとれることからICU高校を選びました。

みなさんも経験したことがあると思いますが、慣れない文化、言語の中に飛び込むのはとても不安、しかし同じぐらいワクワクを伴っています。そうして入学したICU高校では苦労の連続でした。入学当初は漢字を読むことすら難しく、授業についていくので精一杯でした。レベルで分けられている古典や現代文のクラスは当然一番下、そのなかでも最底辺をぶっちぎりで爆走していました。おかげで僕専用の補習クラスを用意されたほどです。しかし、レベル分けされているクラスでは私と同じようなバックグラウンドを持っている人が多く、日本語ができないコンプレックスというのはICU高校では共有できるものであったのが、私は嬉しかったです。

ICU高校でHR委員や学校祭企画責任者などのポストを通じて、私は一つのことを感じました。ありきたりですが、やはり言語とはコミュニケーションツールでしかなく、大事なのはスピーカーとリスナーであるということです。お互いが帰国生で、みんなある程度日本語が下手だからこそ、ハイ生はお互いを理解する努力を怠らないのです。だから、こんな私でもみんなが支えてくれて、まがりなりにもHR委員を約1年間勤めあげることができたと思っています。

そんな私を変えてくれたICU高校は、カオティックで毎日が充実していて、とても楽しいです。多少の頭痛や風邪などで休むのはもったいない、と思っていました。それは他校と違って、学校祭や体育祭だけがイベントではなく、ICU高校では、かけがえのない毎日がイベントだからです。キリスト教概論や家庭科のような一見つまらなそうな科目でも、愛とはなんなのか話し合ったり、クラスでピザを作ったり、楽しいことが盛りだくさんです。先生にドッキリを仕掛けたり、小テストでクラスメイトと競ったり、おそらくハイ生は、幼稚園児並みに毎日を楽しんでいます。このような日々を送った多くの卒業生は、ICU高校でなにが楽しかったのではなく、ICUでの高校生活そのものが最高であった、と言います。

ICU高校の良いところは、そこだけではありません。今話を聞いているみなさんがいろんなところから帰国してきたように、ハイ生もいろんな国からの帰国生が多いのです。初対面で名前を聞くよりもさきに、どこ帰国か聞けるのなんてICU高校だけです。また数少ない一般生との交流も、僕たち帰国生にとっては非常に新鮮な出会いです。これは僕の尊敬する先生の言葉ですが、「ICU高校とは空港なんです。一般生は外に向かって離陸し、帰国生は内に向かって着陸するんです」。普通の高校に入学した帰国生の多くは、言うならばハードランディングすることになります。つまりカルチャーショックや、慣れない環境に戸惑い、なかなかそこで自分の居場所を作ることができません。しかし、ICU高校で一般生と一緒に過ごすことによって、帰国生としての自分の位置を確立することができます。私は日本の中学になじむことはできませんでした。みなさんも今もしくはこれから感じることがあるでしょう。しかし、その悩みはICU高校では絶対に起きない、と私は約束します。私たちは帰国生です。日本人でも外国人でもありません。どっちつかずで宙ぶらりんです。帰国生はアイデンティティの確立が難しい、とよく言われがちです。しかし、ここではそんなことありません。ICU高校では帰国生が主役です。だからDon't be shy!

最後に中学生のみなさんに一言送ります。高校入学から卒業まで三年間です。長いように思われがちだけど、すぐ終わりが来ます。しかし、何もせずに終わらすには退屈でもったいないです。そのため皆さんに三年間かけて没頭できるものに出会ってほしいのです。それはサッカー、スペイン語、バイオリン、なんでもかまいません。そして悔いのない充実した最初で最後の高校生活を過ごしてほしいのです。その何かをみつけて、誰にも邪魔や馬鹿(ばか)にされずにできる最適な場所が、ICU高校だと思います。日本には「出る杭(くい)は打たれる」という諺(ことわざ)があります。そのため、多くの日本人はどれだけ素晴らしい才能を持っていても隠そうとしています。しかしICU高校では、そのようなことは起こりません。これは私の実体験より皆さんに誓えます。人生で一度しかない高校生活を、ぜひICU高校に入学して最高のものにしてください。

(2017年 学校説明会スピーチより)

写真:岸 克昭さん

国際基督教教大学高等学校OB戦にて

写真:海寶 慎太郎さん

海寶 慎太郎

33期
東京工業大学大学院修士課程

 

高校を卒業後、私は自らの理系という特性を生かしつつ、グローバルに活躍できる道を探してきました。大学院生になった今、私は再生可能エネルギーの研究をしつつ、フィリピンの現地の方々と貧困改善のための活動を共にしております。今の自分があるのは、大学で本当にやりたいことを追求してきた結果だと思っていますが、ここに至る道の原点はICU高校で過ごした日々にありました。

ICU高校は私に、自分らしくいることの大切さを教えてくれた場所でした。一般生で入学した私は、公立小学校、公立中学校と日本の義務教育で育ち、それまで目立つことに対し消極的で、人と違うことは避けるべきだと考えていたのだと思います。そんな私を変えてくれたのが、自分の個性に自信を持ち、いわば変人であることをポジティブに捉えているICU高校の友人たちでした。そんな友人たちに感化され、私自身も3年生時には手押車で肥料を運び中庭で畑を耕したり、人の誕生日をパイ投げで祝ったりと随分好き勝手なことをしました。恒例のハロウィンの仮装にも三年生でやっと参加することができました。入学時に不安で震えていた私からしたら、とても大きな成長だったのでないかと思います。

高校を卒業する頃には、自分の本当にやりたいことは何かと意識するようになりました。特に帰国生の友人の影響から、海外を見てみたいという気持ちが強く湧き上がり、工学を用いた国際協力を勉強する国際開発工学科に進学しました。大学では工学部でありながら英語ディベートに熱中し、毎年のようにイギリスやデンマークへも留学しました。人と違う活動をする中で徐々にレールを外れることを恐れないようになりました。自分独自の道を貫き、自分の個性を楽しむことができるのはICUHS生の強みなのでないかと思います。

今、私が活動を共にするフィリピンの方々に出会ったのは、4年生の夏でした。太陽光パネルの現地調査で訪れたフィリピンの孤島、そこで島の方々と話し、彼らの生活の過酷さを知りました。今考えると安請け合いですが、何かできることを探してみると約束し帰国しました。帰国後NPOの方と話し協力を得て、企画書を作り、助成金を申請し、プロジェクトが動き出しました。翌年4月には現地で協同組合を設立し、今はマイクロクレジットを通して、島の方々の海藻農業の拡大に取り組んでいます。実際の世界というのは自分が描いていた空想よりも過酷で失敗も多いですが、とても充実して新しく考えることが沢山あります。

高校入学当時の私から見れば、今の私はかなり変人なのでしょう。しかしICU高校は変人であることが許される場所です。今になって、私は自分の本当に好きなことを追求することの難しさをひしひしと感じています。何よりも人と違うことをするというのは、今でも不安です。しかし、その道こそ本当に楽しいということをこの学校は教えてくれるでしょうし、自分次第でそのための力も得られる場所です。後輩の皆様もぜひこの学校で自分らしさを磨き、世界に羽ばたいていくことを願っています。

(2017年)

写真:海寶 慎太郎さん

フィリピンの海藻農家の方々と

写真:𠮷田 亜美さん

𠮷田 亜美

26期
国際基督教大学教養学部
ソニー株式会社

 

ICU高校は両親からの勧めで受験しました。当時、私はアメリカに住んでいて、そこでの生活を満喫していたために、入学することにひどく反発したことを覚えています。また、父親の海外勤務が継続していたことから一人で帰国することになり、親戚も学校の近くに住んでいなかったので、高校の寮に入ることになりました。親元を離れ、6年ぶりの日本。また、慣れない共同生活ということで、不安な気持ちで一杯でした。

しかし、そんな思いも入学とともにすぐにかき消されました。帰国子女が多いために仲間意識も生まれましたが、帰国子女という言葉では一括りにはできないほどバックグランドが多様で、また“一般生”も優秀な上に個性的で、そこに、ユニークな先生と自由な校則が組み合わさり、他にはない世界がICU高校にはありました。

集団の中の一人ではなく、一人一人がしっかりと意見を持ち、また、新しいことに対する柔軟性と興味・関心も高いので、互いの個性を尊重しつつも、意見を述べ合うことができて、自然と自分の視野も広がっていったと思います。そのため、授業/部活/休み時間、学校にいるどの場面をとっても、誰といても、刺激を受けることができ、また同時に、とても居心地の良い空間でした。

ICUと同じような環境を求め、グローバルな環境・多様性・風通しの良さ、この3軸をキーワードに就職活動を行い、縁あって今の会社に入社しました。6年間の日本勤務を経て、今は中国上海に駐在して国際人事の仕事をしています。これまでの仕事の進め方は通用しなかったり、同僚との距離感も違ったり、と悩むこともありますが、試行錯誤しながらも、とても充実した毎日を送っています。このようなスタンスで仕事に取り組めるのも、知らない土地で生活を楽しむことができるのも、すべてICUでの経験があってのことだと思います。

卒業して既に10年が経ちますが、今でも高校のお友達とは頻繁に連絡をとっています。彼女、彼らは良き相談相手であり、また、お互いに刺激を与え合う存在です。そしてこの関係はきっとこれからも続くのだと思います。ICU高校に入学することで、生涯の大きな財産を得ることができたので、今は心から良い選択だったと思っています。

海外にいると受験を意識する機会が少ないと思います。しかし、高校生活は「将来の自分」を左右する重要な時期です。この大事な瞬間を、誰と過ごすのか。どれだけ多くの価値観に触れ、幅広い経験をすることができるのか。それにより、より広い選択肢の中から最適な進路を選択できるようになると思います。将来は導いてもらうものではなく、自分で決めるもの。自分と向き合い、自分の大切にすることが何かに気づかせてくれる環境がICU高校にはあると思います。ぜひチャレンジしてみてください。

(2017年)

写真:𠮷田 亜美さん

中国無錫工場にて

写真:小林 陽子さん

小林 陽子

6期
国際基督教大学教養学部 University of Toronto
世界銀行 広報官

 

父の仕事の関係で、小3から中2までの6年間をアメリカのアイオワ州ですごしました。帰国生として入学したICU高校時代を思い返してみると、まず印象に残っているのは英語の授業です。シェイクスピアを読んだり、リサーチペーパーを書いたり、アメリカの高校でも受けるような内容でした。せっかく苦労して英語を取得したのだからこれを伸ばせないものか、という親と私の思いを汲み取って、日本の学校に行きながらも高度な英語教育を受けることができたのは、今の私につながっていると思います。

当時から帰国子女を数人受け入れる学校はありましたが、ICU高校が違ったのは多くの生徒が帰国生だったことです。日本社会においてちょっと異質な私たちが多数を占める学校だったからこそ、自分の居場所を見つけられたと思います。アメリカでは白人ばかりのアイオワ州の小さな町で暮らしていたので、自分が金髪で青い目でないことをうらめしく思うこともありました。でも逆に豊な文化を継承している日本人であることの誇りを感じることもあり、自分のアイデンティティについてはかなり悩みました。帰国して成田空港に着いたとき、周りが自分と同じような黒髪で、「ああ日本人だという看板を背負わなくていいんだ」と肩の力が抜けたことを覚えています。でも、いざ日本の中学に行ってみると、馴染めません。それがICU高校に入学したら同じような体験をした人がいっぱいで、「変な日本人でもいいじゃないか」という自信がわきました。

そこで出会ったクラスメイト、また私は寮生だったので一緒に生活した友人との友情は、今でも続いています。その中にはICUの大学で一緒だった友達もいます。もう日本を離れて何十年になりますが、一時帰国するとよくみんなで集まります。

高校時代にこのような環境に恵まれていたからこそ、迷いつつも自分らしい生き方を選択できたのだと思います。大学卒業後、東京で英文記者としてロイター通信社に入社し、ニュージーランドとフィリピンでの駐在後、結婚、退職。フィリピン人の主人についてヨーロッパのウィーンでドイツ語と苦戦しつつ専業主婦として2年間暮らした後、カナダの大学院に入学し、卒業後NGOで広報を担当。そして7年前、主人と赤ん坊の息子を連れて世界銀行へ転職。私だけではなく、ユニークな生き方をしている卒業生は、いっぱいいます。みなさんにもICU高校のような場所で、自分らしく生きる勇気を見つけてもらいたいと思っています。

(2017年)

写真:小林 陽子さん

世界銀行ワシントン本部にて

写真:油井 薫さん

油井 薫

33期
Mount Allison University

 

こんにちは、ICU高校33期卒業生の油井薫です。現在はカナダのマウントアリソン大学に在籍中の3年生です。大学では西洋美術史と、古代史、スペイン語を勉強しています。カナダの大学に進学するにあたって、ICU高校は私にとって、日本から海外へ移る際の中間ステップとなった場所でした。生まれてから地元の中学を卒業するまで、ずっと日本で育ってきた私は、ICU高校内で言う通称 “純ジャパ”でした。しかし心のどこかでずっと、“海外に住みたい”という漠然な、しかし強い思いを持っていたのを覚えています。

しかしながら高校から留学するという勇気もなく、ただただ悶々としていました。そこで母から紹介されたのがICU高校でした。ICU高校について知れば知るほど、“私にはこの高校しかない”と心から思いました。合格の可能性は決して高くはありませんでしたが、運良く入学が決まり、泣くほど嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています

入学してからは毎日がカルチャーショックでした。寮生活、学校生活共に私にとって未体験の連続でした。自分と同い年の子達が、日本語以外の言語をペラペラと喋っている、そんな光景に驚きを隠せませんでした。“ここはどこなのだろう?”と、その多種多様で独特な、日本とも海外ともつかないICU高校ならではの雰囲気はとても刺激的でした。そんな環境が、私に海外大学進学への勇気を与えてくれました。色々なバックグラウンドを持つ同年代の子達との学校生活は私の視野を広げてくれました。様々な行ったことのない国についての話を、彼等からきくことによって、行ってみたい、見てみたい、知りたいという思いが募っていくのを日々感じていました。

入学してからずっと、一番下の英語のクラスだったので、自分の英語力に自信などほとんどありませんでした。しかし、レベルにあった質の高い英語教育と、選択授業を全て英語の授業にしたことにより、英語力も入学時より上がり、自信がつきました。ここでの教育が無かったら、海外の大学に進むという勇気は持てなかったと今でも思います。自分の意見を積極的に外に発信することができるICU高校生との関わりは、当時の私にとって、そして今現在でも私自身に大きな影響を与えています。卒業してからも、それぞれの子が様々な方向で活躍しているのを見ると、自分も頑張らなければ、と本当に常に刺激をもらっています。

カナダに移ったばかりの頃は、弱音ばかり吐いていましたが、今では自分の興味のあることを見つけ、日々大学生活を頑張っています。私にとってのICU高校での3年間は、自分にとって“不可能”だと思っていたことを “可能”に近づけてくれました。ICU高校に行ってよかったと、今でも本当に心からそう思います。

(2015年)

写真:油井 薫さん

大学のボランティアで舞台衣装作り

写真:松本 真実さん

松本 真実

26期
国際基督教大学教養学部
Institute of Education, University College London
株式会社プラップジャパン

 

海外経験ゼロの一般生とした入学した私にとって、人生で一番のカルチャーショック、価値観を大きく変えた出来事が、ICU高校に入学したことだといえます。グローバル化が叫ばれ、英語ができること、海外に行くことが重要視されているように思います。私も漠然と「海外」への憧れを抱き、「帰国生が3分の2」というユニークな環境に魅かれ、ICU高校を志望しました。

しかし、待っていたのは、「英語」も「海外経験」もすべてが「当たり前」となっている環境。入学直後は、帰国生が話している英語が全く分からず、「15年間日本に住んでいること」に劣等感さえ持ちました。しかし、それまでの考えが覆される環境の中で、「自分が生み出せる価値とは」「自分は何ができるのか」を考えた結果が、その後のキャリアにつながっています。実際に、英語はツール。「海外」も自分のいる場所を指すだけであり、重要なのは、何をするか。ICU高校は、その「何を」の部分を追求させてくれました。

多様な背景を持つ生徒と個性豊かな先生と過ごす中で、今まで知らなかった様々な「世界」を知り、視野を大きく広げることができました。ICU高校の生活は、「違って当たり前」を体現し、背景の異なる個々人が集まる豊かさを教えてくれます。英語で劣等感を持っていた私も、帰国生の友人に日本語について聞かれるなど、クラスの中ではそれぞれ得意なことを教えあっていました。個々人の経験もユニークで、9.11にニューヨークにいた生徒が当時の状況を話してくれたり、聞いたことがないアフリカの国に住んでいた生徒が現地の生活を教えてくれたりし、日常の端々で「世界」を感じました。

国際的な側面だけではなく、社会の中で見過ごされがちな問題にも目を向けさせてくれました。沖縄での修学旅行や外部講師を招いたキリスト教週間の講座など、ICU高校では様々な学びの機会があります。日々の授業でも、議論を促す形で、一般的にはタブーで政治的と避けられるようなトピックが取り上げられました。特に、倫理の授業では、議論を呼ぶトピックについてグループで調査をし、発表後にはクラスで活発な意見が交わされました。ICU高校の学びを通じて、自分が見えていない世界があること、1つの事柄も視点によって捉え方が変わることを実感しました。

そのような3年間の学び、「日本人である自分」を見つめ直した経験や「社会の声なき声に耳を傾ける」という地歴科の先生の言葉に大きな影響を受け、日本社会の中での多様性の問題や教育・メディアに興味を持つようになりました。高校卒業後は、ICUに進学。リベラルアーツカレッジとバイリンガル教育の特徴を活かし、国際関係と教育の2つの分野を専攻しました。学業の傍らでは、紛争の続くイスラエル・パレスチナの学生の交流プロジェクトや外国にルーツを持つ子どもへの学習ボランティアに関わりました。その後、大学や学外の活動での学びと経験を深めるべく、ロンドン大学の修士課程に進学し、多文化社会における教育について研究。帰国後は、日本に逃れてきた難民を支援するNGOで広報担当スタッフとして勤務しました。現在はPR会社に勤務し、コミュニケーションを通じて社会課題の解決に寄与することを目標に、様々な企業・団体の広報サポートの仕事をしています。

ICU高校を卒業して10年。入学時に目標としていたような、英語を使うことも、海外の友人とやり取りすることも日常の一部になりました。しかし、ICU高校での大きな収穫は、「日本」と「海外」という境界にとらわれない視野と行動力。大きく変動する世界において、自分の価値観と視野、行動力で判断し、進んでいくことが求められると思います。私にとって、これからの世界を歩むツールをくれたのが、多様な世界を凝縮したようなICU高校であったといえます。

(2015年)

写真:松本 真実さん

シンガポール人の友人と

写真:藤井 健太さん

藤井 健太

26期
University of Texas at Arlington HKUST Business School

 

率直に言うと受験の際に訪れたICU高校の印象は良くありませんでした。日本に帰国することを快く思っていなかった上に、都心からは遠いし、最寄駅からはバスを乗らないと辿り着かないし、どんな田舎の学校に行かなければいけないのかと、散々両親に文句を言った記憶があります。

しかし、その印象は入学初日から変わりました。世界各国から日本に帰って来た帰国子女が集まる上に、難関といわれる試験を合格して入学を決めた一般生がそこに加わり、非常にユニークな先生達・スタッフの方々が学生達を指導・サポートするという、世界でもあまり類を見ない環境がそこにあったからです。

今回このような形で自分が高校生だった頃を振り返ってみると、私のICU高校での生活や思い出は全て「人との出会い」だったと改めて思います。私は恥ずかしながら、勉強が好きな学生ではありませんでした。宿題こそ提出していたものの、試験勉強や授業の予習復習をした記憶があまりありません。しかし、その分人一倍同級生や先輩・後輩と時間を過ごし、部活に遊びに一生懸命でした。今でも気軽に食事に行ったり、遊びに行ったりできる同級生や先輩・後輩が周りにいるのは、そのような時間を一緒に過ごせたからだと非常に有り難く思っています。先生との出会いも私にとっては人生の財産のひとつです。卒業してから早10年が過ぎますが、当時の担任の先生とは今でも連絡を取って食事に行ったり、気軽に冗談を言い合える関係にあります。ユニークなバックグラウンドを持っている先生がいるのもICU高校の特徴です。残念ながらご縁が無くクラスを取ったことはありませんが、外資系企業やベンチャー企業に勤務していた数学の先生がいらっしゃいます。私は彼との出会いのおかげで将来自分がやりたい事を見つけることができました。

私はいま香港にいます。高校卒業後、アメリカの大学に留学し、卒業後は金融機関・コンサルに合計約5年間務めた後、仕事を辞めて昨夏から香港のビジネススクールに通っています。ICU大学を含むICU人脈、ネットワークには海を越えた海外でもお世話になっています。

高校生活はその後の人生に大きな影響を及ぼす3年間だと思います。ICU高校に入学すれば、誰もがみな自分が思い描くような、又は100%満足のいくような学生生活を送れるということではありません。しかし、グローバルな人材・優秀な人材が集まり、彼ら彼女らと同じ目線に立って指導・サポートする先生達・スタッフの方々がICU高校には集まっています。このメッセージが目に留まり、ICU高校への受験・入学を決めた方々と将来どこかで出会えることを楽しみにしています。

(2015年)

写真:藤井 健太さん

ビジネススクールの友人とともに

写真:相川 はづきさん

相川 はづき

17期
東京大学理学部
Graduate School of Arts and Science, New York University
映像作家

 

I was one of those anomalous students who grew up in Japan but had never attended a Japanese school. So ICUHS was a big change for me. I remember being overwhelmed my first year because everything was new and everyone was different from me. And though I was enjoying school and making great friends, I felt pretty lonely.

After some time, however, I noticed that no one felt like they belonged there because we all came from different backgrounds. We all had some difficulty understanding each other, but we were considerate of each other’s unique personalities. We were diverse and alone together. And it was this realization that gave me relief, as well as a strong sense of independence. Our surrounding is what we make of it, and I decided to make my years at ICUHS a time to get to know myself and others better.

Fast forward 20 years, I find myself married (with a former ICUHS classmate!) and living as a filmmaker in New York City, one of the most multi-cultural cities in the world. I collaborate with people from various cultures, and despite being from a homogenous country like Japan. I am able to emphasize diversity thinking in my work. I see this as an invaluable asset when creating. I believe that true internationalism stems from being able put yourself in other people’s shoes. And without doubt, it was the struggles at ICUHS that taught me this mindset.

In retrospect, I think the teachers at ICUHS see students like me year after year. With a watchful eye they supported me through periods of confusion and indecisiveness. Had I gone to another Japanese school, I probably would have been steered toward a particular standard. But at ICUHS there is an understanding that comes from experience, and students are free to find themselves in their own time. I could not have asked for a better environment in my formative years.

(2015年)

写真:相川 はづきさん

撮影現場にて

 

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