12月10日は国際人権デー! それぞれの「自然」を可能にするための「反・自然」~その4
国際人権デー、あるいは、世界人権デーと言われるこの日は、世界人権宣言が国際連合で採択された日(1948年12月10日)を記念する日です。
日本でも、この日を最終日とする一週間(12月4日~10日)を人権週間としています。日本では、なぜか「人権」と言えば「思いやり」あるいは「やさしさ」が強調されてしまうのですが......。
例年、試験期間にばっちり重なってしまうので、特に行事を行うことはないのですが、(特別イベントを開催したこともあります。このイベントはすでに伝説となっています。いやー、思い出しても体にふるえがきます。このバンド、LAUは現在では英国NO.1の伝統音楽バンドとして世界的に大活躍中です)、ICU高校生としてはおぼえておきたい日です。と言うか、知らなかった人には自らの不明を恥じてほしいと思いますよ。ええ。まったく。
さて、前回(11月6日)からだいぶ間が空いてしまいました。
自分と他の人たちの人権をまもるためには、まず何をするべきか。先述のように、日本の人権週間では、「思いやり」「やさしさ」が強調されるのですが、それは、この連載の考え方からすれば、人間の「自然」に期待しすぎる考え方です。むしろ、思いやりを持てない、やさしくなれないからこそ「反・自然」としての「人権」の出番があるのです。
世界人権宣言前文には、「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので」という一節があります。「法の支配」とは、前回も述べたように、権力者がしもじもの人間を従わせるための掟、という意味ではなく、権力が「専制」に陥り、人々を「圧迫」しないようにするために、法によって権力の側こそを縛るという意味です。
ICU高校の生徒宣誓に「世界人権宣言の原則にたち法を尊び校則ならびに指示に従うことを入学にさいしここに厳粛に宣誓します」とあるのは、とにかく何であれ、校則守れ、何であれ、先生の指示には従え、ということではありません(それじゃ本末転倒)。
じつは、生徒の厳粛な宣誓は、教職員にとって厳粛な意味があるのです。教職員が、世界人権宣言の原則にたち、法を尊んでいるか。校則や指示が世界人権宣言の原則にたっておかしなものになっていないか。つねにそのことが自分自身に問われているのでなければ、教職員という立場は、容易に、生徒たちに自分たちに都合のよい掟を守らせる権力者(あるいは権力者の犬)に堕してしまうでしょう。まだつづきますよ。
(写真は法務省HPの人権擁護局より)