ICUHSは30周年! 一覧

2009116
ICUHSは30周年!by NZ

それぞれの「自然」を可能にするための「反・自然」~その3

10月23日のつづきです。

強大な権力に自分を守ってもらう、というよりはむしろ、強大な権力こそが、個人の自由を侵害する、と考えるのが現代の法の常識です。
個人の自由・権利を守るために、国家の権力を制限する、というのが「世界人権宣言」の基本的な精神です。多くの国々の憲法も、基本方針はそこにあります。もちろん、日本国憲法も。


権力を持った存在が、しもじもの人間に言うことをきかせるために法があるのではなく、それぞれの個人が自由であるために、権力に制限をかけるために法がある、というのが、民主主義の国々のタテマエです。
日本では、こうしたことがはっきりと全体に共有されているとは言えないわけですが......。


ICU高校では、入学式のプログラムの中に「生徒宣誓」というものがあります。
これは、学校への絶対的服従を誓わせるものではありません。
学校と生徒との間の、一種の契約、と言った方がいいかも知れません。
生徒たちは、自分の自由を他の者に危害を与えることがない範囲で追求することができる。
そのための環境を、学校はつくりあげる努力をする。
その結果、ある意味、不自然なまでの異空間がここに出現している、というわけです。

生徒宣誓はこんな内容です(以下引用)。
「私は国際基督教大学高等学校の生徒として
本校の目的と理想との実現のために
世界人権宣言の原則にたち
法を尊び
校則ならびに指示に従うことを
入学にさいし
ここに厳粛に宣誓します」
(引用終わり)


また2週間後にお会いしましょう。

20091023
ICUHSは30周年!by NZ

それぞれの「自然」を可能にするための「反・自然」~その2

10月9日のつづきです。
つづけてよまないと意味不明なので、前回エントリみてない人はまず読んでから、再び来てください。

......。

準備はいいですか。えーと、今回はまず歴史のお話から。

17世紀イングランドに、トマス・ホッブズという哲学者がいました。
ホッブズは、『リヴァイアサン』という本の中で、「自然状態」について述べています。自然状態、すなわち、国家も法もない、何らの規制も条件付けもない状態においては、人間は私利私欲に動かされる自己中心的な存在なので、お互いにぶつかりあい、しまいには「万人の万人に対する闘争」に陥り、人間は「孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、短い」人生を送るであろう、とホッブズは言います。

「自然」が、誰も何も手をかけないで、そのまま放っておくという意味であるとすれば、ホッブズのような人間観に立つ人には、そんなものは評価も賛美もできないものでしょう。ちなみに、このような人間観のタイプを「性悪説」と言います。性悪説とは、人間は生まれながらに悪の本性を持っているという考え方です。

ホッブズは、そうした「自然状態」を回避するために、強大な権力(特に暴力手段)を一手に集中した国家が必要であると考えました。そこでは、ひとびとは自分の生命・財産を守るために、強力な国家への絶対的な服従を約束しなければなりません。

自分の生命・財産を守るために、国家への絶対的服従を約束する? 現代のわれわれの感覚ではよくわからないかも知れません。しかし、ホッブズが生きていた17世紀には、これには強いリアリティがあったのです。その頃のヨーロッパは、何十年も続く宗教戦争の時代でした。宗教対立を背景に、国家の体制も揺れ動いていました。安定した強い国家が望まれる状況があったのです。

現代でも、安定した国家がない、あるいは国家の権力が弱すぎるために、ホッブズの「自然状態」に近いような状況に陥っている地域が世界には多数存在しています。

あうー、話がひろがって回収しきれなくなりました。続きはまた再来週でーす。ごきげんよう、さようなら。

2009109
ICUHSは30周年!by NZ

それぞれの「自然」を可能にするための「反・自然」~その1

9月3日のつづきです。

生徒も教員も、無理をせず、自然でありのままでいられる空間、という感じはこのブログからも感じていただいているでしょうか(笑)。

しかし、「自然」とは、どうにでも解釈できるマジック・ワードです。使いようによっては危険なことばでもあります。
髪の毛を染めるなんて自然じゃない、耳に穴開けるなんて自然じゃない、男だか女だかわからないかっこうするなんて自然じゃない......。いくらでも言えますよね。
学校のモットーが「自然を旨とすべし」だけしかなかったとしたら、どちらかと言えば、「自然」は多数派の支配につながりやすいでしょう。
「空気」や「雰囲気」が絶対の空間は日本中どこにでもあります。
一方、ICU高校には空気よめない、あるいは、そもそも空気よまない・よむ気がない人がたくさん生息しています。これって自然なことなんでしょうか、それとも不自然なことなんでしょうか?

ICU高校では、学校に集うそれぞれの「自然」を大切にするための「反・自然」と言うべき精神が、はっきりと共有されています。
さて、それは、何でしょう?!

答えは次回、なんて書くと、まーた引っ張りすぎの割りにどうでもいい答えなんだろう、と言われそうなので、書きますよ。

それは、何を隠そう、キリスト教と世界人権宣言です。


......。

あまりにも直球すぎてかえって肩すかしみたいになってしまいました。
解説は次回(10月23日)に。(この項つづく)

200993
ICUHSは30周年!by M

入学式と30年前

恒例の始業式と九月生の入学式があり、17名の新入生を迎えました。ICU高校には賑やかな秋が巡ってきました。

さて、ICU高校ってどんな学校だろう。入学式にかこつけてそんなことを考えてみます。

ICU高校が大切にしている価値観は、生徒のそのままを大切にしたい、対話を通してみんなで学校をつくりたいということです。この価値観は、1977年に学校ができる前年の中野サンプラザでの打ち合わせの時から持ち続けて30年にもなります。
 
「...生徒部のルールってね、セーターのワンポイントどのくらいの大きさにするとかさ、色んな細かいことをさ、制服が決まっちゃったから、着るものとかアクセサリーとかどうしようかって、ものすごく揉めたのよ。」
「開校前にずっと話し合ってるわけ?」
「そしたら、"そんなのね、いちいち決める必要ない!"って...。」
「なんて言ったか覚えてない。」
「"原則としてね、一つあればいい!"って。みんながシーンと聞いたら、"自然を旨とする!"って。」
「"自然を旨とする"...ってどっかで言ってたよね?」
「じゃあどういうことなんだ、って聞いたら、"その場で自然だと思っていればいいじゃないか"と。"自然だと思わない人はその子と対話すればいい"と。」
("30周年記念教員インタビュー"より一部抜粋)

 必ずしも現在所属している生徒や教員が30年前のこの場を共有したわけではありません。ですが、この感覚は共有しながら学校生活を送っています。

200993
ICUHSは30周年!by M

ICUHSってなんだろう?

小金井の森の中にある学校。半分以上、帰国子女の学校。国際基督教大学の隣にある学校。卒業生があの時が一番楽しかったといってくれる学校...。

いろんな話は聞くけれども、実際に学校の中では何が行われているのかはわかんない。

そこで 授業の様子や学校イベントなどなど、日常の
ICUHSの"School Now" を知ってもらいたくてこのブログをつくりました。

読んでくれる方が、ICUHSを体験できるような臨場感を持った、スリリングでワクワクする"ICUHSの今"を発信できたらと思っています。

それではよろしくお願いします。

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