ICUHS RETROSPECT 第25弾
30年前 まだ学生
28年前 はじめてここに来た
27年前 結婚した
25年前 ・・・・した
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10年前 ・・・・できなかった
5年前 ・・・・しなかった
今年 30年間を思い出している
30年前 まだ学生
28年前 はじめてここに来た
27年前 結婚した
25年前 ・・・・した
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10年前 ・・・・できなかった
5年前 ・・・・しなかった
今年 30年間を思い出している
ICU高校では、学校礼拝の献金の一部や、イベントの中で集めた寄付金などを、NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンへ継続してお送りしています。
カードを書いたり、クッキセールをしたり、献金の呼びかけをしたり・・・。生徒がそれぞれのはたらきを集めることによってこの活動は18年間続けられてきました。
チャイルド・ファンド・ジャパンはそのお金を、フィリピンやネパールの子どもたちの就学支援や、母子健康保健事業等にお役立てくださっています。
支援している子どもたちからも、3年間ほどでも、こんなにたくさんのお手紙をいただきました。クリスマスには手作りのカードを交換します。ことばを交わすことができるのは、何よりもうれしいことです。
就職すると、希望した覚えもないのにサッカー部顧問。顧問って何? クラブ活動と縁のない生徒だった私にはわからない。ましてやここはICU高校。先輩教員たちもニヤニヤするだけで何も教えてくれない。
何もかもがうやむやのうちに夏休み。え、合宿? 引率はなぜか私ひとり。夜な夜なOBたちが入れ替わり立ち替わり宿に現れて、たいそう盛り上がっている。これは何? これが仕事? 何かの罰ゲーム? 罰だとしたら、何の?
呆然としているうちに数年が過ぎた。生徒の目には、怠慢だったり不親切だったり不誠実だったりする顧問に見えただろう。謝れと言われたら謝る。でもひとことだけ言わせてくれ。とにかく何が何だかよくわからなかったんだよ。
(注記 これは二十数年前のお話で、現在のICU高校にはあてはまりません。どんな学校でも、できて三十年にもなると、みんなの努力の甲斐あって、それなりに学校らしくなるものですね。めでたし。)
(その1)
就職した翌年だったと思います。有志で、教員劇を生徒たちに披露するということになりました。誰が決めたのか、演目は武田泰淳の『ひかりごけ』。カニバリスムが題材の重いテーマの作品ですが、僕は第一場後半で、現校長N先生扮する「船長」に食われてしまう役。それでも、けっこうセリフが多かった。
面白かったのは第二場終幕のクライマックス。裁判にかけられた船長が、人肉食をした者の背後には青白い蛍光色の光が浮かび上がるという話をし、裁判官、検事、弁護人にこう訴えかける。「どうです、みなさん見えるでしょう。人肉食をしてない皆さんには確かに見えるはずです。」
原作では、観客には見えるその青白い光が船長だけでなく、裁判官、検事、弁護人の背後にも光るという結末でした。その原作のままに、船長、裁判官などの背後に光が浮かび上がる仕掛けを僕らは用意していたのですが、なんと本番ではそれが光らないというハプニング。観客にも青白い光が見えないという、洒落たエンディングになったのです。深いね。
(その2)
結婚して、高校近くのアパートで新婚生活を始めた頃の話。学校から五分もかからない距離だったので、生徒とバイブルを読む会を自宅でもちました。少人数で始まった会でしたが、聖書を出発点にみんなが日々の思いを語り合う場となり、聖書に興味ないと公言する子も参加して、多い時は狭い家がいっぱいになったことも。
そのうちに生徒たちは僕よりも僕の奥さんに心を開いたりして、いろいろと話し込んだりしていました。どっちが先生だ。教師は俺だぞー、俺はここにいるぞーって感じ。で、僕は少しめげぎみ。でも、あれはあれで素敵な新婚生活だったと懐かしく思い出します。
本日、国語科主催の百人一首大会「第一回蝉丸杯」が開催されました。
二年生の文系古典・理系古典の各クラスから選抜された4チームが対戦、3対3の源平戦です。
選手がパシッと取ると、ギャラリーが「おおー!」と盛り上がり、すぐ「静かに...」
校舎一階の和室は、冬の寒さも忘れてしまうような熱気で満ちていました。
結果は3対1で理系古典クラスの優勝。金色の台に蝉丸人形が乗っている特製トロフィーが授与されました。
また来年!
一期生の修学旅行の時に、主担任の青柳先生が出張され、私が4組の担任を代行することになりました。団体行動の基本である、集合時間を大幅に遅れたグループにけじめをつけさせることになったのです。旅先が社寺の多い奈良・京都でしたので、自分がかつて臨済のお寺で修行してきた体験を生かして、生徒に夜2時間の座禅をさせることにしました。
座り方、数息間を教え、警策らしき棒を用意して座禅開始です。15分もたつと、たちまち体が傾く生徒が何人も出て、結果一人以外は全員私に打たれたと思います。後で、その一人を贔屓しているとか言われましたが、その人は本当に微動だにしなかったのです。
写真を見ていると、全てが昨日のことのように思い出されます。
毎年雪が降ると「あめゆじゅとてきてけんじゃ」と私は三回呟いてしまいます。
「永訣の朝」の一節は、二期生の現国クラスの合い言葉のようになりましたね。
学年最後には、小岩井牧場への旅行計画まで立てましたね。
皆さん、お仕事が一段落する時期がきたら、あの時、実行できなかった小岩井牧場への旅行、今度こそ行きたいですね。
その後も、現国クラスは小人数クラスだったので、学期末には「打ち上げ」と称して井の頭公園に行ったり、お好み焼きを食べに行ったり、よく集まっておしゃべりしましたね。
古文の授業「筒井筒」の教材では、皆さんの「初恋物語」をよく聞かせてもらい楽しかったです。
久々ぶりに三〇余年の歴史の詰まった写真の山を見ていると、皆さんのお声やちょっとした仕草が鮮明に思い出されてきます。
校舎を取り巻く木々は今も元気に生長し続け、私たちを見守ってくれています。三年五組の教室の前の大木は、以前にも増して元気で、天に向かって枝を張り中庭の空を覆っています。いつも木に登って担任の私をハラハラさせた木登り名人・高橋君、一度大木を見に帰って来ませんか。
ICUHSには、卒業生の思い出がいっぱい詰まっています。ちょっと立ち止まりたい時、疲れた時には母校に帰ってきてください。
前年に高知学芸高校が中国で列車事故に遭い、9期だけが唯一実行できた中国(北京、上海)から10期は急遽沖縄に変更された。11期からも(それ以降ずっとそのまま現在も)沖縄となったが、当時は沖縄本島から石垣、西表などの離島へも行っていた。
本島と石垣との間の飛行機が百人程度のキャパで、三便に分割して往復移動しなければならなかったことを逆手に取って、コース別行程を実施することにした。
波照間観光や石垣於茂登岳トレッキング、琉球舞踊、空手、料理、本島のマリン、北部自然体験、ちゅら海水族館などである。
残念ながら現在は離島へは行かなくなったが、コース毎に分かれて色々な体験をするコースが現在も行われている。その11期の下見のために沖縄に行った写真が手元にあったので、それをペタリ・・・と。
写真は、1985年頃校舎にぶつかり、飛べなくなっているところを保護された野鳥である。ツミという国内最小の猛禽で、河川敷などで時々見られる。骨折していることも考え、獣医に診てもらったが、無事回復した。
当時、この様な事件が頻発し、どういう訳かオオコノハズクなど珍鳥が多く、この時は、即死だった。この鳥は本当に珍しい鳥で、野鳥好きでも見たことのある人は少ないと思う。土に返すのは勿体ないと、10万円を掛けて剥製にした。今も生物実験室の片隅に置かれている。
ところが、最近この様な事故を殆ど見なくなった。このころ校内で不思議と毎年決まった日にカッコウの初鳴きを聞いたが、今、カッコウの鳴き声すら聞かなくなった。
その昔、夏休みの野外実習で大島をはじめ、新島、式根島、三宅島などの島々を訪れていました。
それぞれの島には個々の特徴があり実習内容も異なるものでしたが、
共通なことはどの島へ行くのも品川の日の出桟橋から船で出航するということでした。
夜の出発はどんな場合もそうですが心躍るものがあり、デッキへ出て涼しい夜風を受けながら遠ざかる都心と明かりを眺め、なかなか寝る体勢には入れません。
火山活動で島への立ち入りが制限されたというニュースを聞くにつけ、みんなでさまよった森や、泊まった宿のことが気になります。