ICUHS RETROSPECT 第13弾 <ICU高校の思ひ出3連発—写真付き>
#1 私がICU高校で初めてビデオ撮影した男で悪いか!!
私が入って3年目、3年の担任をしていた。
当時はオーソドックスにも、京都・奈良に行ったのだが、その為に当時は数十万円もするBeta-1を買った。当時一番若く安月給の私にとってまさに「清水の舞台から飛び降りる」思いだった。
ご覧の通りの本格的な肩乗せカメラと、背中にノートパソコンを3台重ねた大きさの5キロもする録画装置のセットだ。それで奈良のシカと遊ぶ生徒たち、それこそ清水寺や、東映太秦映画村での生徒たち、食事風景の生徒たちを撮りまくった。
あ、早くそのベータテープをDVDに保存しないと・・・どこ行ったかなぁ・・・
#2 私がICU高校で「Best Teacher Award」をもらって悪いか!!
これは、いかに真実が歪められて伝わるかの生きた例だ。
97年初頭、ICU大学卒業生の活躍を大学の広報で紹介する頁に、高校にいる私に記事を依頼された。内容は、英語しか能のない自分がICU高校で素晴らしい生徒に教えられる幸福を与えられた、と言ったもの。
で、写真がどうしても欲しいと言うので、生徒にもらっていた写真を何の気もなしに提出した。すると次の年賀状で「Best Teacher Award」おめでとう!とか、ワイフが、「ご主人『Best Teacher Award』受賞されたんですね。おめでとう!」と友達に言われたりした。
はっとした。その写真には5人の生徒に囲まれ、照れながら小さなトロフィーを持っている私がいる。黒板には、「Congratulations! Best Teacher Award for Victor!」と書いてあった!でも、それは3年選択授業のCollege Prep.と言う、実にローカルな中の、しかもよいしょ的なジョークだったのだ・・・
友達にこれを説明するのが面倒になったワイフは、「はいはい、主人は確かに『Best Teacher Award』をちょうだい致しました。ありがとうございます。」と言うようになった。
嘘が「真実」になった瞬間である。生徒会主催の教員人気ランキングの方がまだ信憑性がある。
#3 私がロードレースで3位で悪いか!!
私は昔からロードレースに出ている。
以前は練習せず太っていたので、ブービー賞的走りで全体の終了を遅らせた事や倒れる事を心配する同僚から出場するな、と言う助言を受けた事もあるが、思い出に残っているのは、まだ第2女子寮の寮監をしていて、たまたまゴール間際にいた6歳の理恵を捕まえ、肩車してゴールインした事とか、ある年、当時の校長の桑ヶ谷先生が姑息にも、ゴール前に忍者の様に気配を消して私を追い抜こそうとした時、若さを生かし、ムキになってラスト・スパートをかけ、打ち負かした事だ。
今ではマラソン出場が趣味になり、去年の8月の足の故障以来初めての11月29日に丹沢ハーフで2時間29分31秒で完走した。これからクレバーにトレーニングして来年のロードレースでは自己最高記録の55分切りに挑戦するつもりだ。
因に3位は出走教員4名の中の3位のこと。ゆっくり走るのは知る人ぞ知るU先生だ。
外国語科 T.K.(3期生)
『卒業生を囲む会』開催!
『卒業生を囲む会』では、ICU高校の卒業生と、大学ではどんな学問を学べるのか、
どんなフィールドで活動できるのかといった、高校の生活ではなかなか想像できないテーマをシェアします。
今回のお題は、「海外インターンシップ」について。
2009年3月にICU高校を卒業し、大学の夏休みを利用して約1ヵ月間、
インドのNGO団体のインターンシップに参加した先輩が、
「一歩を踏み出したことで、自分に何ができるのか、その問いは以前よりずっと大きなった」
と、自分の経験を話してくれました。
海外インターンシップに興味を持っていた生徒も、そうでなかった生徒も、
実体験に基づいた熱い語りに聞き入っていました。
「目的意識を持ち、自分の足で動いて現実を知ることの大切さを知りました」
「グラウンドで騒いでいた先輩とは、違う人がいるみたいだった・・・」
半年前まで同じ校舎で学んでいた先輩の、“今”の姿に触れた感想。
今日、先輩の話に触発された生徒たちが、次回の『囲む会』のスピーカーに
なってくれることを心から期待しています。
K
ICUHS RETROSPECT 第12弾 <修学旅行に纏わる思い出>
幸いなことに全般的に楽しい愉快な旅をしている。
生徒も引率教員も楽しめる旅ができればそれに勝るものはない。
初期の京都・奈良への旅では、予想外のできごとが発生して対応に苦慮したこともあったが、互いに楽しい旅を作り上げようと協力しあい、何年間か古都めぐりの旅行が続いた。
その後、広島・長崎への旅になり、途中の宿で、「中国への」修学旅行を実現しようと話が盛り上がり、とうとう下見と称して、北京・西安・上海に出かけ、翌年生徒と共に実際にこの都市を訪問でき、大喜びしていたら、上海で列車事故が起き、その後の旅は沖縄になった。
戦争の爪あとや今日にもおよぶ駐留米軍の現状を知れば知るほど不安が増し、心が晴れない。
外国語科 H.E.
ICUHS RETROSPECT 第11弾 <北海道本別生活学校バイブルワークキャンプ>
就職した年の夏に1年生の17期生と一緒に参加して以来、毎年参加しているバイブルキャンプ。一緒に行った人は延べ人数で何人?毎年違った想い出があります。
最初の17期生!女子ばかり約40名で行きましたね。珍道中の一週間だったように記憶しています。この年は今も使っている生活寮ができた年。いろいろ面倒をみて下さっていたお兄さんに恋しちゃった人は誰でしたっけ?
あれから16年。一年だけ実施できなかった年を抜かして、毎年虫との戦いの一週間を繰り返しています。
生活学校、育雄先生、敏子先生、みんなで作ったおいしい食事、農作業、真っ赤に燃えるキャンプファイヤー、満天の星空、夜通し話し合ったこと、みんなの笑顔、そして可愛かったサンデー。
参加したみんな覚えていますか?
養護教諭 O.H.
ICUHS RETROSPECT 第10弾 <最初で最後の修学旅行>
もう20年以上前になってしまいました。
9期生の修学旅行は、中華人民共和国への4泊5日の初めての海外旅行でした。
構想から約2年、まだ今のような市場原理主義が見られない、改革開放政策が叫ばれ始めた時期の中国は、まだまだのんびりとした国民性と美しい自然の溢れる大地でした。
北京の飛行場から町までの道では、馬やラクダに引っぱられた荷車に驚き、パトカーの先導でバス移動をしました。
北京師範大学附属高校での交流会ではダンス部がダンスを発表したり、万里の長城では競争して息切れました。
上海では街中で女子生徒が物珍しいのか、服を引っ張られたり、動物園のパンダがあまりにも汚かったのにはびっくりしました。
体育科 W.M.