ICUHS RETROSPECT 第9弾 <中身と外見>
自分がICU高校に来たときは、教員集団の中で一番下だった。
よく生徒と間違えられ、それは外から来るお客さんだけではなく毎日顔を合わせている生徒や教員からもだった。大人として、教員として貫禄のない自分に自己嫌悪を覚えた。
一番ショックだったのは、合宿に行った時のことだった。
宿舎に着いて、宿の方と部屋割や食事時間の打ち合わせを散々した後に、
「で、引率の先生はどちらに?」
「・・・・・・」
などということがあった。
時が流れて、いつの頃からか、生徒と間違えられることは無くなった。
中身はほとんど変化していないように思うが、外見は着実に貫禄が増したようだ。
嬉しいような、悲しいような・・・・。
体育科 H.M.
ICUHS RETROSPECT 第8弾 <あえて直近の思い出を書きます>
若い先生方と担任団を組み3年目を迎えています。
私が勤め始めた時に生まれた先生もいたりして皆若くて元気で有能な先生方ばかり。成績IT化のトップランナー集団に入れてもらったわけですが、オジサン教員としては必死にしがみついていくだけ。何とか振り落とされずに今までやって来れました(笑)。
その一方HRには色々な事が起こります。「教育はコンピュータだけではできない」を地でいくような事も色々とありました。そんな時にはオジサン教員の出番もあり、ともかく皆でよく協力してやって来ました。
この担任団は枠に囚われずユニークな人達ばかりで面白い事も一杯やってきました。恐らく今までで一番楽しい担任団であったと思います。
キリスト教科 A.H.
ICUHS RETROSPECT 第7弾 <担任をしたクラスの皆さんへ 元気ですか?>
★6期!一番生徒目線に近かったので毎日楽しかった。色々事件もあったけど、必死で過ごし強烈な印象の一年でした。
★10期!初めて一年生担任で箱根リトリートの皆の初々しさが印象的でした。温かい雰囲気のクラスでした。
★12期!初めて3年間担任しました。濃いメンツが揃ってて、言うこと聞かなかったけど、かわいい子達でした。
★17期!個性的な女子軍団と、仲良し男子。3年の最後は、ケイドロで負けた男子がいつも掃除をしてました。
★21期!日直日誌にびっちりの本音トークと、学校祭に皆で作ったビデオがとても素敵でした。
★25期!卒業式の日、花束くれた時ろくなメッセージ言えなくてゴメン。愛してる!
★29期!3年まで担任したかったな。
地歴公民科 H.K.
12月10日は国際人権デー! それぞれの「自然」を可能にするための「反・自然」~その4
国際人権デー、あるいは、世界人権デーと言われるこの日は、世界人権宣言が国際連合で採択された日(1948年12月10日)を記念する日です。
日本でも、この日を最終日とする一週間(12月4日~10日)を人権週間としています。日本では、なぜか「人権」と言えば「思いやり」あるいは「やさしさ」が強調されてしまうのですが……。
例年、試験期間にばっちり重なってしまうので、特に行事を行うことはないのですが、(特別イベントを開催したこともあります。このイベントはすでに伝説となっています。いやー、思い出しても体にふるえがきます。このバンド、LAUは現在では英国NO.1の伝統音楽バンドとして世界的に大活躍中です)、ICU高校生としてはおぼえておきたい日です。と言うか、知らなかった人には自らの不明を恥じてほしいと思いますよ。ええ。まったく。
さて、前回(11月6日)からだいぶ間が空いてしまいました。
自分と他の人たちの人権をまもるためには、まず何をするべきか。先述のように、日本の人権週間では、「思いやり」「やさしさ」が強調されるのですが、それは、この連載の考え方からすれば、人間の「自然」に期待しすぎる考え方です。むしろ、思いやりを持てない、やさしくなれないからこそ「反・自然」としての「人権」の出番があるのです。
世界人権宣言前文には、「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので」という一節があります。「法の支配」とは、前回も述べたように、権力者がしもじもの人間を従わせるための掟、という意味ではなく、権力が「専制」に陥り、人々を「圧迫」しないようにするために、法によって権力の側こそを縛るという意味です。
ICU高校の生徒宣誓に「世界人権宣言の原則にたち法を尊び校則ならびに指示に従うことを入学にさいしここに厳粛に宣誓します」とあるのは、とにかく何であれ、校則守れ、何であれ、先生の指示には従え、ということではありません(それじゃ本末転倒)。
じつは、生徒の厳粛な宣誓は、教職員にとって厳粛な意味があるのです。教職員が、世界人権宣言の原則にたち、法を尊んでいるか。校則や指示が世界人権宣言の原則にたっておかしなものになっていないか。つねにそのことが自分自身に問われているのでなければ、教職員という立場は、容易に、生徒たちに自分たちに都合のよい掟を守らせる権力者(あるいは権力者の犬)に堕してしまうでしょう。まだつづきますよ。
(写真は法務省HPの人権擁護局より)
NZ